「趣味 おすすめ」とか検索してここに辿り着いたあなたは、ある程度の余暇時間があるのに何もしたいことがなくて困ってるってことだよね。
わかる・・・わかるよ。。。
WEBで「趣味の見つけ方」とか検索しても、しっくりくる趣味は見つからないんだよね。
インターネット上には様々な趣味が紹介されていたり、趣味が持てない理由や解決方法が転がっているけど、どれも自分には当てはまるようで当てはまらないってところではないかな。
僕も趣味が持てない人間で、こうやってブログを書いている今も自信を持って趣味と言えるものは一つもありません。
でも、僕みたいな人間でも納得できる答えに辿り着いて、今は無趣味であることを受け入れることができました。
この手の話は万人に刺さるものは無いと思うけど、僕と同タイプの人であれば、少しは参考になると思うので、記事にします。
無趣味であることに苛つくことが少しでも解消されれば幸いです。
趣味を持てるかどうかは学生時代までの家庭環境による影響が大きい
これは持論だけど、趣味がない人は、生まれ育った家庭環境に要因があると考えています。
僕の場合であれば、親が割と教育熱心で、習い事もすべて親に決められ、自分がやりたいことをやらせてもらえませんでした。
でも、嫌々やるのはイヤだったので、その習い事で少しでも良い成績を取って、他者よりも上にいくことで、優越感を得ることを目標としていました。というか、そうせざるを得ませんでした。
その結果、勉強もスポーツも常に成績上位となることができ、親から褒められたり、周りの友達から称賛されることが快感となっていきました。
一見、上手くいっているように見える僕の人生ですが、これが無趣味街道を邁進する要因になったと思います。
学生時代までの僕の人生は、他者からの承認によって快感を得る構図になっています。
つまり自分自身の愉しみではなく、他者ありきの愉悦です。
これにより自身の内なる声は聞こえなくなってしまい、愉悦を自分の外側に求めるようになってしまいました。
趣味というのは、自分の内なる声に従うことなわけで、承認欲求を他者に求める生活がデフォルトだった僕は、趣味の持ち方がわからなくなってしまったわけです。
繰り返しになりますが、これはあくまで僕の持論です。長年趣味が持てない理由を考えたり、調べたり、いろんなことに挑戦してもなお趣味が持てなかった僕が出した一つの結論です。
原因となる事象自体は人それぞれだと思いますが、こういった親が敷いたレールに乗らざるを得なかった家庭事情の人は、ある程度僕と似たような状況になっているのではないでしょうか。
趣味を持てないことを受け入れて、フラットになる
「趣味がないのは、おかしなことだ」と思っていると、どんどん辛くなります。
その一つとして、「仕事への依存」があります。
以前書いた記事で仕事が生きがいになっている状況は良くないということを書きましたが、結局はああいうことにつながっていきます。
仕事って承認欲求を満たしやすいんですよね。成果を出したり、残業したりすると褒めてもらえるので。
これって、先程触れた学生時代のくだりと同じ構図なんです。
仕事に一生懸命取り組むっていう一見ポジティブな捉え方もできる一方で、仕事以外に何も持たざる者が簡単に実行できる選択肢でもあるわけですね。
要するに、無意識的な「現実逃避」です。自覚するのが難しいので、当の本人はそう思っていないでしょうけど。(←昔の自分のことです)
これを回避するためには、「人間何かしら趣味(取り柄)を持つべき」という先入観をぶん投げる必要があります。
趣味がないという事実をもっとフラットに受け止めるってことですね。
ぶっちゃけ、趣味がなくても全く困りません。
むしろ、趣味がないことに悩んでる方がよっぽど不健全です。
趣味は「内なる心の声」なわけですから、無理やり脳みそ振り絞って思考しても、趣味なんて見つかるはずありません。
例えるならば、すでに興味が薄れている恋人に対して、「いや、おれはこの子の事が好きなはずだ。」って言って本心を捻じ曲げるのと同じです。
いくら表面上の思考で取り繕っても、本能を騙すなんてできないし、かえって気持ち悪くなるだけです。
趣味が持てないのは、何かしらの理由があるはずですが、それを見つける必要性は必ずしもありませんし、考えるだけ無駄です。
インターネット上では趣味を持つための方法論が紹介されていますが、かえって悩むだけです。
「今」は、趣味がない。ただそれだけのことです。
目標のせいで楽しいと思えることがなくなるケースもある
インターネットの普及やSNSの登場により、閉ざされた世界が開放され、さまざまな情報にアクセスできるようになった結果、以前よりも目標を持ちやすくなったと思います。
この目標というのがまたとんでもない曲者なんですね。
SNSにアップロードされているキラキラした人たちのように自分もなりたい!って考えてしまい、今の生活に満足できなくなってしまうことがあります。
自分もインフルエンサーになりたい!
YouTuberとして成功したい!
そうして「なりたい自分」が出来てしまった結果、今まで楽しいと思っていたことが、時間の浪費と感じるようになってしまう。
黄色信号です。
目標というものは、達成できれば満足度は大きいですが、達成できない場合の副作用もまた非常に大きいです。
言うまでもなく、インターネットで輝いている人たちのようになるには、とんでもない量の努力と運が必要です。
もし、このような状況に陥った場合は、解決策は3つしか無いと思います。
①とんでもない量の努力をして、目標を達成する
目標は簡単には達成できないものです。
したがって、必然的にものすごい量の努力が要求されます。
もちろん、努力をしたからって目標を達成できる保障はどこにもありません。
それでも覚悟を決めて適切な努力を続け、なりたい自分になる。
一番大変な選択肢ですが、シンプルに突き進むことで目標を目指します。
楽しいとか楽しくないとか、そういう感情に左右されない精神力と方法論の確立が必須です。
②SNSやネットニュースから離れる
冒頭でも書いたとおり、ネットが無く閉ざされた世界だった頃は、輝いている人を身近に感じることができませんでした。あっても芸能人くらいで、自分もそうなれるとは中々考えません。
しかし今はSNS全盛期です。眩しく光り輝く人たちの生活が、嫌でも視界に飛び込んで来るため、自分との格差に失望します。
要は、自分と他人を比較しやすくなってしまった負の側面がこれです。
対処法は簡単で、SNSやネットニュースから離れることです。
見なければ、羨ましいとも思いません。
今の世の中はネットが普及する前よりも素晴らしい世界に進化しているはずで、満足できないはずがありません。20年前の世界と比較しようがないくらい、現代のほうが恵まれています。
これで不満を感じるのは、逆進的な話ですが、ネットが普及したせいです。
TwitterやFacebookを見ないだけで、自分の内面との対話が捗りますので、試してみることをおすすめします。
③悟りを開いて、自分は自分、他人は他人と受け入れる
なんだかんだ言っても人間はそんなに強くはありません。
「きちんと」諦めることも立派な選択肢です。
諦めることで見える世界もあります。これは本当です。
中途半端に悩むくらいなら開き直って何も考えないようにする。
考えないようにするのも意外と難しいものですが、自分の内面と向き合うには非常に有効な方法だと思います。
悟りを開くといえばおこがましいですが、自分自身の棚卸しをすることで、見える世界が変わってきます。
まとめ
趣味を求める理由は、人生を有意義なものにしたいという願望によるものです。
よって、「趣味を持つこと=ゴール」になることは、本質ではありません。
自分の本能と向き合うことの方が100倍重要。
その過程でツールになるものが「趣味」というものなのではないでしょうか。
これで趣味探しの旅は終わりだね!
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