趣味がない人間なんていない。ただ、趣味のカタチは想定外であるかもしれない

生き方
ruby
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なんか、人生つまんねーな。このまま歳をとって死ぬのかな。俺。

僕は昔から趣味という趣味がなく、独りで何かすることがとても苦手な人間でした。

物心がついた以降の記憶を辿っても、幼い頃から、特定の何かが大好き!ってことがなかったんですよね。

でも褒められるのは好きだったので、誰かに褒められるために、興味の有無に関わらずひたすら何かを頑張ってました。というか親の教育方針により頑張らざるを得ない状況下に常に置かれていたと言った方がいいでしょうか。

社会人になってからも同じで、基本的に組織からの指示の下、仕事をしてきました。自分のやりたいことや趣味がないため、組織としてやらなければならないこと、そしてそれを達成することで得られる評価に生きがいを依存してきたんですね。

一見、極めて普通な生い立ちのように見えますが、このことは、僕の人生観に大きな影響を与えました。

そう、自分の意志がどこにも反映されていないんですよ。常に他の何かに左右されて、行動を決めてきたということです。

やりたいことや趣味が無いからそうして他に依存することで、無趣味な人間というコンプレックスから逃げてきたという側面もありますが、結果として、「自分」を持たない人間になってしまったわけです。

ちょっと昔の話

ここで、昔話をします。

僕自身の生い立ちの話です。

僕がこうして他の何かに依存するようになってしまった背景を整理する上で、語らないわけには行かないと思ったので、少々長くなりますが、お付き合いください。

小学生時代

小学校入学の時から通っていたスポーツ少年団。

僕はその競技が好きで始めたわけではなく、父親の薦め(ほぼ強制)でやることになったのですが、試合などで勝ったら親から褒められる、逆に負けたら怒られるというシステムとなっており、必然的に怒られないために、そして褒められるために努力を続けました。

結果として、中学3年生までの間、自分の居住地区の同世代の中では上位5人の中に入るなど、そこそこの成果を出し続けることができました。

一方で、自分自身がやりたくてやっていたことはなく、友達と野球をしたり、ゲームをしたりと基本的に他の誰かがいないと成立しない遊びばかりをしていたと記憶しています。

ドラゴンクエストなど一人用のゲームもプレイし、人並みにのめり込みましたが、その理由は高いレベルを自慢したり、レアなモンスターを仲間にしたこと周りに見せつけるためであり、おそらく成果を見せる友達がいなければ、プレイしなかったのではないかと思います。

中学生時代

中学時代はとにかく学業に邁進する日々です。

僕の親は勉強に対して非常に熱心だったため、小学生の高学年になった辺りからは、親がスパルタで子供の勉強を指導するという毎日が家庭教師状態でした。

中学校からは各学期の中間・期末テストや学力テストの成績に順位が付くため、学年で常に上位に入っていないと親が激怒するといった家庭環境でした。

そのため、勉強をやりたくなくても、やらざるを得ないため、学校の授業以外に毎日、土日も休まず大量のドリルをこなし、更には塾にも通うことになるなど、とにかく勉強漬けの小中学校時代でした。

その甲斐あって、学業の成績は基本的に常にトップクラス、学年で100人程度の学校でしたが、順位が二桁になることは稀で、年に数回は学年トップを獲っていました。

そうした学業での成功により、僕は同級生の中である程度のポジションを確立。

しかし、相変わらず私生活の方は無趣味状態が続いており、暇な時間があれば小学生の時から続けていたスポーツで上を目指すために、他者に勝つためにトレーニングをしたり、小学生の時と同じようなスタンスでテレビゲームをやっていました。

このように、中学生時代も小学校の時と変わらず「他の誰か」を基準とした行動を取り続けていたわけです。

高校生時代

そして、高校進学。

中学時代に身に着けた学力により、そこそこの進学校に合格。これまでの学年100人程度の小規模学校から、学年定員300人超えの大きな高校です。

しかし、ここで事件が起こるんですよ。

テストでほぼ最下位になるという事件が。。。

僕が中学まで学問優秀だったのは、親の方針で厳しく教育・指導されていたからです。

でも高校生になってからは、親の方針が変わり、子供(僕)の自主性に任せたんです。

その結果、今まで親に怒られないために頑張っていた僕は、全く勉強をしなくなりました。基本的に勉強は興味がなく、嫌いだったからです。

成績が悪かろうが親が学業に干渉してこない以上、もはや頑張る理由がなくなったんですね。

そうして高校時代の3年間、学業成績は落ちるところまで落ちていくことになります。

一方で、部活動では初めて自分がやってみたいことをやることができました。極めて競技人口が少ないスポーツでしたが、誰に言われることもなく、毎日朝早く登校して朝練し、帰りは終電ギリギリの時間まで練習しました。

おそらく、人生で初めて自発的に行動できたのが、高校時代の部活だったということですね。

しかし残念ながら、この競技はあまりにもマイナーであり、特殊な設備も必要であったため、高校卒業後は続けることができず、以降二度とやることはありませんでした。

社会人時代

そして、ついに社会人。

僕は勉強が嫌いだったため、高校卒業後就職し、すぐに一人暮らしを始めました。

会社ではそこそこの評価を得つつ、更に労働組合の役員も担うことになりました。

社会人は学生時代とは多少異なるものの、良い実績を出せば評価に繋がるため、それをモチベーションに、僕は再び頑張り始めました。

また、仕事と並行して役員となっていた労働組合の業務も、自分には適正があったようで、様々な課題を解決することができ、強いやりがいと使命感を感じていました。

当の本人(僕)は非常に充実した人生を歩んでいると誇っていたでしょうが、今にして思うと、他の何かに依存する人生スタイルを再び始めてしまったのです。

そんな生活が十数年が続き、僕も中堅社員になっていきます。

30代半ばになったころ、僕はこれまでの成績を評価され、とある重要ポジションに就くことになりました。

これまでの自分の頑張りが評価されたと思い、すごく喜びました。

この時のことは以前の記事でも何度か触れていますが、最終的に僕はこの重責を全うできず、自分の脳力の限界を感じることになったのです。

社会人になって以降、仕事とともに成長し続けてきた自分が始めて足踏みすることになりました。

他人軸や仕事を生きがいとしてきた人間の末路

ここまでの僕は、学生時代は親に課題を与えられていたことから、自分から何かをやりたいと考えることがなく、社会人になってからも趣味がなくとも仕事が生きがいだったのでそれでよかった。

ですが、先述した自分の限界を感じて以降、仕事への情熱、生きがいを失ってしまいました。

結局、人間上には上がいるわけで、僕ができなかった仕事も、他の能力がある人はこなせてしまうわけです。

もちろん、現状維持だって悪い選択肢ではないでしょうし、平均よりは上の評価は得られるかもしれませんが、今まで自分の仕事上での成長を生きがいにしてきた僕にとって、それは耐え難いものです。

かといって、生きがいであった仕事の代わりに、これまで無かった趣味を持とうとしても、そう簡単な話ではありません。

当時の僕の中での趣味の定義は、「意識しなくてもやりつづけられること」です。

しかし、これまで仕事というわかりやすい指標を軸とした人生を歩んできた僕にとっては、「意識しないでもやり続けられること」という概念自体が体に馴染みません。

僕は趣味を見つけるため、様々な体験を試しました。

写真やカメラ、eスポーツ、資格取得、プログラミング、デッサン、ガジェッター。

でも、どれも一時的に楽しいと思えても、長くは続きません。

趣味とは一体なんなのだと自問自答の日々。

これまで仕事のことしか考えてこなかった自分にはとても難しい問題です。

やっとわかった趣味のカタチ

そんな状況がしばらく続いた中、僕は一つの仮説を立てました。

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趣味とは言葉で表すことが出来るものばかりではないのではないか

ということです。

身も蓋もない話ですが、趣味を持つというのは、考えて得られる類の話ではないのではないでしょうか。

それまでのその人の人生を映したもの、それが「趣味」というものではないのかと。。。

一般的に趣味といえば、「ゴルフ」「映画鑑賞」「魚釣り」などわかりやすい事象で表現される事が多いですが、趣味の本質はそこではなく、人によっては「考え事」という名前も形も無いものが趣味であることもありえます。

僕は昔から「人生観」「人の幸せとは?」「お金持ちになる方法」など、そういった抽象的なものを自然に考えることが多かったのですが、「思考が趣味」という捉え方は一切していませんでした。

「趣味は考えることです」みたいな話を他の誰かに理解してもらうことが難しいことも相まって、一般的な趣味のカタチを追い求めていたのかもしれません。

でもよくよく考えると、自然に考えられるものが趣味なんだとしたら、僕の趣味は「考えること」になります。

今まで僕は「趣味とは〇〇です」と他者に対して伝えられるものだと思っていたので、この考え方に至った時、スッと腹落ちしました。

それ以降、趣味を作らなければならないと悩むことは一切なくなりました。

まとめ:趣味がない人間なんていない。ただ、趣味のカタチは想定外であるかもしれない

僕はこの40年間、ずっと無趣味な人間だと思っていました。

「趣味とはこうであるべきだ!」という固定観念があったからです。

でも、趣味のカタチが常識外のカタチである可能性もあることに気づいた時、僕は今まで無趣味な人間ではなかったのだと気づくことができました。

僕は「考えること」が趣味です。

他人に伝えることが難しい趣味ではありますが、紛れもなく僕の人生そのものです。

ここにたどり着くまでかなり遠回りをしてしまいましたが、長年の悩みが綺麗サッパリなくなりました。

ruby
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趣味のカタチは人それぞれ。新たに見つけるまでもなく、答えはすでに自分の中にある。
あとは、それをどうやって認識するか。だね!

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