人は自由を求めるもの。
だが、自由は求め方を間違えると逆に不自由になる。
例えば休日、特に予定がなければ24時間を自分の好きなように使うことが出来る。
しかし、いざ「好きにしていい」と言われても、意外と何をやればいいか分からず、悩んでしまうことはないだろうか。
課題を与えられ続けてきたコトによって失ったもの
幼少期から大学卒業まで、人は常に課題を与えられ続けてきた。
字を覚え、運動を覚え、歌を覚え、数字の計算を覚えてきた。
社会人になってもそれは同じだ。仕事を覚え、成果を求められ・・・。
このように人は常に課題と向き合ってきたわけだが、これらはすべて自分ではない誰かから与えられたものだ。
つまり、自分のやること、やりたいことを自分で決めたことは殆どないのだ。
いい大学に入りたい、いい会社に入りたいといった願望も、世間一般的にそれが良いことであると子供時代から刷り込まれてきただけであって、自分の内に秘めたる本当の願望ではないだろう。
課せられた課題がなくなったとき、人は強い不快感を覚える
そう、人は課題をクリアするという達成感を得られなくなると、強い不快感を覚えるようになる。
課題が目の前にある時は、面倒でやりたくないと思うのに、いざやるべきことがなくなるとそれもまた不快に感じるものだ。
この傾向は、子供時代に親から厳しく躾けられていた者ほど強くなるように思う。
充実した休日(課題がない状況)を送るためには課題を生み出す必要がある
わざわざ自ら課題を生み出すなど、おかしな話と思うだろうが、充実した休日、もしくは充実した人生を送っている人間は、自分で課題を作り出している。
課題と言っても苦行を伴うものを作らなければならないわけではない。
予め、やることを決めておく。ただそれだけである。
大人の時間割
これについて、最も推奨されるものとして、時間割がある。
時間割など子供時代に学校から用意されるものとバカにしたくなる気持ちもわかるが、大人の時間割は、勉学ではなく、実践する課題を整理することである。
何時から何時まで映画を見て、何時から読書をして、何時から洗車をして・・・・といった具合に、事前に行動を決めるだけである。
これから何やるかな?では駄目だ。予めその日の一日の行動を決めておくことが重要となる。
予め行動を決めておくという不自由が休日(人生)の充実を生み出す
予め行動を決めておくという不自由は、一つずつクリアすることで達成感に繋がり、幸福感を得られる。
学生時代、充実していたように思い返すことはないだろうか。あんなに不自由だったはずの学生時代がなぜ充実感に満たされていたのか、考えれば答えは自ずと見えてくる。
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